〈大学の理念〉
大学は学問研究を生命とするが、それは同時に人格の陶治を意味する。学問をもって人格の陶治と無関係であったり、しかのみならず障害であるように考えるならば、それほど間違った考えはないであろう。学問は知識であるが、個人的主観的な知識でなくして客観的な知識である。その立場においては、何人もそれに絶対服従せねばならぬ必然性と普遍性という権威を具備した知識である。我々は学問に従事することによって客観的領域を獲得する。地上の権力も、富も、暴力も、すべて全然無力である真理性の王国を把握する。こういう領域の存在を自覚することが実に我々の世界・人生観の根底でなければならぬ。
〈中略〉
とは言え私は決して人格の陶治が学問によってのみ為されうると主張する者ではない。人格の陶治にはさまざまな道があって学問はその一つの道である。ただ大学における人格の陶治は飽くまでも学問を通じて為されなければならぬ。大学は修養団体でも宗教団体でもなくして学園だからである。大学が学園たる性格を失うならばもはや大学ではない。大学たる限りは人格の陶治も国家への奉仕もその他あらゆる活動が徹頭徹尾学問によって媒介されねばならぬ。大学が学園であり学問を根本契機とすることは自明のことの如くであるが、しかも我々の牢記すべき重大事である。
天野貞祐著作集2「教育論」より |
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